横浜・中華街の最寄駅のひとつ、JR石川町駅。ここから少し歩くと、中華街とも異なった見慣れない光景が広がってきます。寿町とその周辺の扇町、松影町を含む寿地区には、横浜港の港湾労働などに携わる日雇労働者の受け皿として多くの簡易宿泊所、いわゆる「ドヤ」が建ち並び、ドヤ街を形成。寿町は日本の「三大ドヤ街」の一つといわれています。そのように称されてきた寿町ですが、日雇労働市場として横浜の、また日本の戦後の発展を支えてきたのも確かなのでしょう。
しかし、この労働者の街にも変化が訪れました。2005年の「横浜トリエンナーレ2005」の連動企画「BankART Life」展に出展された映像”KOTOBUKI”の冒頭では次のように語られています。
横浜寿町。
日雇い労働者の町、
高齢化の町。
何も生み出せない町。
みなとみらいが横浜の光であるならば、
ここは横浜の発展を足元から支えた、
影の部分だ。
この町は誤解されている。
かつての暴力と犯罪で塗りたくられた光景は、
すでに老朽化し、
いまでは高齢化と介護という言葉を筆頭に、
町は生産性を失い、
ただ朽ち果てるのを待つように人々が生活している。
(岡部友彦 他 「KOTOBUKI」2005年, BaknART1929)
新聞では次のように取り上げられています。
寿町は今や「福祉の街」だ。住人6500人のうち半分が60歳以上で、8割が生活保護という。(中略)家族に置き去りにされたり、アパートの大家にタクシーで連れてこられ、放置された高齢者もいる。これなど現代の"うば捨て"ともいえる。
(原田勝広「変わりゆく労働者の街 横浜・寿に住んでみる」『日本経済新聞』, 2008年7月10日夕刊)
同地区のこうした状況からの再生とイメージの払拭を図るプロジェクトのひとつに、コトラボ合同会社が手がける「ヨコハマホステルビレッジ」があります。このプロジェクトでは、寿地区の簡易宿泊所の2割にあたる約1600室が空き室となっていたことに目を付けました。それらの空き室をバックパッカーたちツーリスト用のゲストハウスに変えて街にツーリストを呼び込むことで、新たな雇用の創出、多世代・多人種との交流等を生み出し、街の再生を図るというものです。2005年に始まったこのプロジェクトは今年で3年を迎え、7月には新たに「ホステル水明荘」を改装オープンしました。
街の再生や活性化を図るプロジェクトは、NPOや自治体によるものも含め、寿町に限らず全国津々浦々で行われていますが、これらの活動はそのスタートこそニュースとして注目されるものの、その後の経過や持続性については不透明であるものが少なくないように思われます。街に関わるということについては、そうした継続性にも着目し、検証されるべきものではないでしょうか。
今回のホステル水明荘の改装オープンは、3年を経過するプロジェクトが地に根付いたことや、活動の持続性を示しているように思われます。今回は、まずそれらの寿町のホステルに泊まり、3年を迎えたこのプロジェクトや街の姿について、宿泊者として紹介します。
■ヨコハマホステルビレッジ・フロント
「ヨコハマホステルビレッジ」は4つのゲストハウスから成りますが、それらのゲストハウスへのチェックインの手続きは1つのフロントで行われます。ネットや電話で泊まりたい部屋を予約し、当日にここで料金を支払いチェックインすれば手続きは完了。ゲストハウスまでの行き方や使い方もここで教えてくれます。インターネットや旅の情報収集もここで可能です。また、ここでは英会話教室や誕生パーティーなど様々なイベントが行われており、訪れた当日にはフロントのプロジェクターを使って建築のプレゼンテーションが行われていました。
富士山の描かれた垂れ看板は倉敷芸術科学大学の学生によるもの
フロントには宿泊者の写真が並べられている
■ホステル林会館
フロントの向かい側にあるのが「ホステル林会館」です。中廊下を挟み、三畳一間の部屋がズラリと並んでいます。
宿泊した1階の部屋は、1畳分の畳のベッド、布団、テレビ、エアコン、ミニ机の置かれたシンプルなもの。壁には手すりが設えてあり、簡易宿泊所が高齢化に対応した造りであることが分かります。
各階には共同キッチンがあり、ここで自炊をすることが可能です。共同のシャワー室は最上階の5階に置かれ、各階を繋ぐ階段の踊り場には本が並べられています。
林会館に泊まるなら、一度屋上まで上がることをおすすめします。屋上ガーデンにはベンチが設けられ、ナス、ニンジン、キュウリ、トウモロコシ…と様々な野菜の植えられた菜園があります。これらの野菜や屋上の設えは、林会館のオーナーをはじめとした様々な人の手によって日々手を加えられています。
■ホステル水明荘
7月にリニューアルオープンしたのがこの「ホステル水明荘」です。宿泊用の6階全室がフローリングのシングルルームで、無線LAN対応。PCが使いやすいようにデスクも設置され、部屋には冷蔵庫も置かれています。トイレ・シャワー・キッチンは共同。エレベーターも設置され、4つのホステルの中で最もこざっぱりとした印象です。
2008年7月現在、エントランスは改装中
■ホステル新栄館
2人用の相部屋があるのがこの新栄館です。写真の部屋の他にダブルベッドの部屋もあります。
■LBフラット
ヨコハマホステルビレッジにはこれらのホステルのほかに、アパートタイプの「LBフラット」があります。このホステルには4泊から宿泊可能です。
■寿町、その街の姿
街には食堂や飲み屋が並び、コインロッカーやコインランドリー、100円以内で飲料を売る自動販売機が多く設置されています。地区を往来する車は無く、おじさんたちがふらふらと歩き、そこかしこで談笑している光景が見られます。そうした中に外国人や20代くらいの若者が見られるのはヨコハマホステルビレッジのお客さんでしょうか。以前の街の姿を目にしたことはありませんが、少しずつ街の雰囲気も変化をみせているのでしょう。ただ、ここで写真を撮るのはNGとのこと。確かに、カメラを取り出せる雰囲気ではありません。
要塞のような姿で一際目立つ「寿町総合労働福祉会館」は昭和49年に建設。ここには公共職業安定所や売店が入り、4階から上は市営住宅となっています。ここの2階にあるのが銭湯「翁湯」。入浴料は430円とこの地区ではちょっと高めの設定といえそうです。
寿町の個人的な印象を語るなら、日本であって日本でないような、東南アジアかどこかの安宿街に迷い込んだような印象を受けました。緩い空気が街全体を覆っているようで、その気楽さが心地良かったのも確かです。このような独特の空気の中に、若い旅行者や外国人バックパッカーが新しい風を吹き込んでいるように思えます。それはともすれば、個性的な街がどこにでもあるような街へと変わる危険性もはらんでいるようにも捉えられますが、既にある簡易宿泊所というインフラを利用し、再開発といったハード主体ではない緩やかな変化のありかたを模索しているように感じられました。こうした変化は、今回取り上げたヨコハマホステルビレッジの活動によるものだけでなく、同地区で取り組まれている様々なプロジェクトが関わりながら実現してきたものでもあります。
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・インタビュー記事
【インタビュー】ヨコハマホステルビレッジ 岡部友彦(前編)
【インタビュー】ヨコハマホステルビレッジ 岡部友彦(後編)
「ヨコハマホステルビレッジ」を推進するコトラボ合同会社の代表 岡部友彦さんへのインタビューを掲載しました。
・関連情報:YOKOHAMA HOSTEL VILLAGE
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